#1105

Kiss DN + TOKINA AT-X 124 PRO DX 12-24mm F4
特別美味くなるわけでもないかもしれないけど、
カレーはどんな食材もまとめ上げる力がある。
今日、バナナカレーを食べて思ったこと。
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#1104

E-PL1s + M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 II
悪いこともあれば良いことも。
勘弁してくれ、と思ってたら、夕日がキレイなことに気付いた。
些細。
きっと何事も。
#1103

Kiss X2 + TAMRON SP AF90mm F/2.8 Di MACRO1:1
またり。
#1102

Kiss X2 + TAMRON SP AF90mm F/2.8 Di MACRO1:1
楽しみは後に取っとくタイプ。
でも待ちきれない。
#1101

E-PL1s + M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 II
台風の後のソラ。
キレイ。
1万メートルジャンプして空の向こう側の水平線を見たいな。
#1100

Kiss X2 + TAMRON SP AF90mm F/2.8 Di MACRO1:1
使っているのはほとんどオレだけど
一応ヨメのカメラ。
せめてもと、ヨメのご要望に応えカメラケースとストラップを作ってみる。
#1099

Kiss X2 + TAMRON SP AF90mm F/2.8 Di MACRO1:1
マクロひとつ持って、花を撮ってみた。
たまにはいいですな。
#1098

Kiss X2 + SIGMA 70-300mm F4-5.6 DG MACRO
代わりに怒ってくれる人がいると怒れないし
横にベロベロに酔ってる人がいるとそんなに酔わない。
でもいつも笑っている人がいればこっちもつられて笑っちゃう。
怒ったり酔ったり笑ったりする人って偉大だな。
#1097

Kiss X2 + EF-S18-55mm F3.5-5.6 II IS
新緑と滝という定番。
定番はいいね。
修理に出してたレンズが返ってきた。
普段一番良く使うレンズが手元にないという不安は思ってた以上・・・
大事に扱わないと。
上記写真はお借りしたレンズにて。
#1096

kiss X2 + TOKINA AT-X 107 DX Fish Eye 10-17mm F3.5-4.5
自由がないと叫びながら
誰かの言いなりになってりゃ楽だな。
#1095

Kiss X2 + SIGMA 70-300mm F4-5.6 DG MACRO
似たような写真を撮るのは
そういうのが好きだからだ。
やめられない。
#1194

kiss X2 + TOKINA AT-X 107 DX Fish Eye 10-17mm F3.5-4.5
kiss X2を中古で買ってみた。
kiss DNがさすがに調子が悪くなってきて。
決してテンションが上がるカメラではないがずいぶん使いやすい。(DNと比べて、だけど)
新しいのとか高いのとか知らないからこれで必要にして十分。
(ちょっと強がり)
#1193

E-PL1s + M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 II
脱ぎ捨てたはずの靴が綺麗に揃えて並んでいた。
自分には無い優しさだな。
いや、良く考えてみると、今回はたまたま気付いたけど
全く気付いてない優しさも多そう。
そう、気付いてる優しさはごく一部で、
思っている以上に世の中は優しさに包まれてるのかも知れないな。
#1192

EOS-1N + EF24-105mm F4L IS USM
RVP100
さて、今夜はまったりAKBの総選挙でも観るか。
#1191

Kiss DN + TOKINA AT-X 124 PRO DX 12-24mm F4
世界の終りについて。
世界の終り、の「世界」っていったいなんのことだろ。
世界は地球・・・が一般的かな。
核戦争が起こって地球全体を真っ黒な雲が覆って
死の灰が降り積もる・・・
みたいなのがSF映画とかで良くあるパターン。
でも良く考えてみると、地球は広大な宇宙のなかのちっぽけな星でしかない。
ちっぽけな星がひとつやふたつ無くなったくらいで世界が終ったと言えるかな。
地球が無くなったって、ましてやそこに住む生物がいなくなったって、宇宙は変わらない。
けど、そうじゃないね。オレたちにとっての世界は地球。
だって、世界を認識する生物(=人間)がいなくなっちゃったら、世界も何もないからだ。
いや、まてよ。「世界を認識する」という考えでいくと、世界が地球という理論も成り立たなくなるな。
なぜかというと自分が死んでしまったら自分は「世界」を認識できなくなるからだ。
つまり、世界=オレ、だ。
自分が死んでも誰かが世界を認識してる、って意見もあるだろう。確かにそうかもしれない。けどそうじゃないかも。
例えば「生きること」はリアルな夢かもしれない。
オレが頭に作りだしているもの。暑さも、寒さも、雨に湿ったアスファルトの匂いも好きも嫌いも嫉妬も優越感も罪悪感も。現実には無いもので自分の頭で描いてるだけ。
もしくは頭に電極を突っ込まれて無理やり誰かに感覚を操作されているのかもしれない。
夢が終わったら何もかも消滅。世界の終り。
この現実が夢であるということを完全に否定はできないはず。
そうでなくても、自分が死んだら、そのあと世界がそのまま何事もなかったように続くのか、全て無くなってしまうのか、そんなことはわかりようがない。
だってオレ、死んでるんだから。
さて、そこで今日の結論。
その1
死んだあとのことはどうでもいいや。
その2
世界はオレ(オレの頭の中の世界作りだしてる)だからもっとエゴイズムに生きてもいいんじゃないかな。
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最近めっきり余裕がなくなって、何かをボンヤリ考えることがなかったけど、今日は久しぶりにどうでもいいことを考えた。
4kmと少し、日と影と風を交互に受けて、だらだらと歩きながら。
#1190

Kiss DN + EF24-105mm F4L IS USM
「空だけを撮るカメラマンになりたい」という女の子がいたな。
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